夕方、畑から帰ってきて、スマホが無いことに気づいた。
どうせ畑に忘れてきたのだろうと畑に行く。畑では、スマホは重いので休憩場所に置いて作業する。
ところが、休憩場所に行ってもスマホはない。少し不安になる。
いつもとは違う場所に置いたのだろうか? 我が相方に電話して、着信音を鳴らしてもらおうと思ってポケットをさぐって、そのスマホを探しに来たのだと気づく。歳をとると万事がこの調子で自己嫌悪に陥る。と同時に、どこかに落としたのではないかと、嫌な予感がしてくる。
頭の中で、今日一日を振り返るが、今日は畑以外どこにも行っていない。ということは、他人の手には渡っていないのだ。だとしたら、8年も前に買った安物だし、ちょうどいい機会だ。新しいのに買い換えよう。
なんだかんだと、無理やり自分を納得させようとするが、やはり、どうも落ち着かない。
家に帰って、とことん探そう。慌てて帰って、あちこちを探す。しかし、無い。
椅子に座って、十年前を思い出すかのように、今日の記憶を追って行くが、解らない。だいたいにおいて、今日はスマホに一度も触っていないではないか……。
ここに至って、ようやく気付いた。二階の寝室へ行き、枕をひっくり返す。
有った!
目覚まし時計代わりに、スマホを枕もとに置いて眠るのだが、今日は、セットした時間より早く目が覚めて、そのまんまスマホを手にすることなく、一日を送っていたのだった。
★
スマホがあれば便利だ。電話、パソコン、カメラ、テレビ、ラジオ、ウォークマン。それに、銀行通帳や、さまざまな情報の詰まっている机だって入ってる。いうなれば、スマホを持つということは、「自分の部屋」を持ち歩いているようなものだ。電車の中でも「自分の部屋」に閉じこもることができる。
だから、「自分の部屋」を手放せなくなる。自分の部屋が無くなると不安になり恐怖さえ感じる。そして、本当の自室の中に居るときも、小さな「自分の部屋」の中に閉じこもる。
「スマホに依存していると思う」という人の合計は75%だという。どうやら、私は残りの25%に該当するようだ。
スマホが無くとも大して困らない。 家ではラインやメールしか見ない。畑では休憩時に天気予報を見るくらいだ。最強プランとかに契約しているが、3ギガなんて使ったことがない。一月に0.3ギガが精一杯。
このブログの記事もパソコンで書いている。スマホで書こうものなら、まる一日かかってしまい、それこそスマホ中毒になってしまう。
しがない百姓の爺様には、小さな「自分の部屋」なんて必要ない。
自分の時間がいっぱい詰まった畑が、我が部屋なんだから。
若者よ、スマホを捨てて、畑に出よう!