胃潰瘍を患い、避暑を兼ねて伊豆の修善寺に療養に行ったが、17日後に三度も吐血して危篤状態になった。
幸いにも快方に向かった漱石は、五か月の闘病の後、翌年の正月から新聞連載を開始する。『彼岸過迄』という小説だ。
題名は小説の内容にそったものではなく、三月のお彼岸が過ぎるころまで連載をするという決意を表したものだ。
※以下の記事中の引用は『彼岸過ぎ迄』の序文から

立春に合わせたかのように昼から暖かくなった。我が相方に頼んで車で畑まで連れて行ってもらった。
二週間ぶり。
ずいぶん長くまとまった雨が降っていないので、野菜の下葉が黄色く枯れている。ビニールハウスの野菜にいたっては瀕死の状態。
いつもの椅子に座って元気のない野菜たちを眺めて忸怩(じくじ)たる思いになる。
去年の八月頃すでに自分の小説を紙上に連載すべきはずだったのである。ところが余り暑い盛りに大患後の身体をぶっ通おしに使うのはどんなものだろうという親切な心配をしてくれる人が出て来たので、それを好い機会(しお)に、なお二箇月の暇を貪ることにとりきめて貰ったのが原(もと)で、とうとうその二箇月が過去った十月にも筆を執らず、十一十二もつい紙上へは杳(よう)たる有様(=暗くてよくわからない様)で暮してしまった。自分の当然やるべき仕事が、こういう風に、崩れた波の崩れながら伝わって行くような具合で、ただだらしなく延びるのはけっして心持の好いものではない。
玉ネギやニンニク、イチゴの冬草を抜いてやらなければ。ソラ豆の親茎を切って土寄せをしなければ。地べたに這いつくばっているエンドの蔓をネットに這わせてやらなければ……。それに、今任されている役員の後がまを見つけて頼まなければ……。
しなければならないことがやたらと頭の中を駆けめぐる。
歳の改まる元旦から、いよいよ事始める緒口(いとぐち)を開くように事がきまった時は、長い間抑えられたものが伸びる時の楽しみよりは、背中に背負(しょ)わされた義務を片づける時機が来たという意味でまず何よりも嬉しかった。けれども長い間抛(ほう)り出しておいたこの義務を、どうしたら例(いつも)よりも手際よくやってのけられるだろうかと考えると、また新らしい苦痛を感ぜずにはいられない。

※『橋口五葉画集』国立国会図書館デジタル(改変)
後は野となれ山となれと開き直るにはまだ早い。
元の体に戻ることに集中しながら、今しなければならないことを一つひとつ片づけていくしかない。
開き直るのはそれからにしよう。
彼岸過ぎ迄、いや、彼岸過ぎから。
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