河内のおっさんのblog

大阪南部の南河内の歴史と文化、風土に育まれた笑いと人情の紹介です。

俄38 / 子ども俄2024

九月の末に、こども会から、俄を作って教えてもらえませんかと依頼があった。
子ども俄は、うちの息子が演じて以来だから25年ぶりになる。
しかも、祭りまで一ヶ月もない。
俄なんて、その名の通りすぐに出来るだろうという感覚らしい。
「それで、出演者はどんなメンバー?」
「とりあえず、男女2名ずつくらいで」
「とりあえず……では、台本を書かれへんがな!」
毎年続けていないと、俄がどういうものか分かっていない人間が増えて来る。
「もっと早く、夏休み頃に言うてきてーな」とぼやきつつも承諾。

その日の夜に、6年生の男子2名でお願いしますとメールがあった。
2名のやりとりは漫才になりやすい。
十年ほど前に大人2名用のを書いたのがあったので、そいつを子供用にリメークして、次の日に渡した。
すると、その夜に年長の男の子が出演したいと言って来たとメール。
「おいおい! 俄をなめてたらあかんで!」
どうしようと悩んでいたら、年長の子の弟も出たいと言っているとメール。
「あのなあ、ええかげんにしいや」
という次第で出来た俄である。
着物にちょん髷という河内俄の本来の型にした。

川面の昔話より 「孫 八 と 源 助」

  左手から、釣り竿を持った孫八が登場。川を見渡して、このへんでいいと納得して、竿を出して釣り始める。
  右手から源助が偉そうに登場。あたりをぐるりと見て
源助  ああー、暇やなあ。誰ぞ、おちょくって、暇つぶしたろ。遊べるような奴はおらんかなあ。
   (孫八に気づき)
    おお、ええ具合に、幼なじみの孫八が釣りしとるがな。
   (そばに近寄り、後ろから)
    こーら、孫八!
孫八  (独り言のように) わっ、わしの一番嫌いな源助やがな。
源助  何しとんねん?。
孫八  何しとんねんて、釣ってんねん。
源助  そんなん見たら分かるわい。何、釣ってるねん?
孫八  何釣ってんねんて……、
     (しばし考え込んで、一人合点して、独り言のように)
    そや、今日は逆にギャフンといわしたろ。
     (得意げに)
    何釣ってんねんて……カッパや。
源助  はあ! カッパ?
孫八  カッパや!
源助  カッパて……、雨の日に着る合羽かい?
孫八  あんだら、川にいるカッパじゃ。
源助  頭に皿のせた奴かいな?
孫八  そや、頭に皿のせたカッパや。
源助  (あきれたように) そんなん釣れんのかいな?
孫八  釣れんのかいて、釣れるさかいに釣ってんのやないかい!
源助  ほほー、エサはなんやねん?
孫八  エサはキュウリや。
源助  キュウリ? そないいうたらどっかで聞いたことあるがな。ほんで釣れたんかい? 見せ
    てみ!
孫八  今日はあかん。近頃は、カッパも贅沢になりくさって、キュウリでは釣れんようになった。
源助  ほほー、カッパの釣れたのを見たいもんや。エサは何あったら釣れるねん?。
孫八  (しばし考えて) そやなあ、松阪牛(うし)か。
源助  松阪牛
孫八  言うとくで、松阪牛でも霜降りの上等なんでないとあかん。
源助  贅沢なやっちゃな。うちでは毎日、松阪牛のすき焼きや。明日、持って来たるさかいに、 
    カッパ釣るのを見せてくれるか?
孫八 わかってるわい。
    竿をかついで、左手に引っ込むときに、 あっかんべーする 
源助 明日は楽しみやなあ。
     右手にひっこむ
  ………………
     小太鼓トコトン。拍子木がチョン
     左手から竿を持った孫八
     右手から肉の塊を持った源助 登場

源助  さあ、松阪牛、持ってきたで。カッパ釣るのを見せてもらおか!
     肉を差し出す
孫八  おお持って来たか。ほな、この肉は、わしがもらうで!
源助  かまへん、かまへん! ほれ、カッパのエサや!
孫八  ほな、したくが終わるまで、ちょっと待っててくれるか。
     左手を向いて準備。肉の塊をつけるふりをして、大きな石をくくりつける。
    さあ、準備はでけた。
     立ち上がり、客席に向かって、源助に見えないように、石を川に投げ込む。
        大太鼓 ドコドン。
    さあ、ええか、カッパはデリケートやさかいに静かにしとけよ。
源助  わかつてるわい。
     しばらく黙って釣ってる。
源助  どや、釣れるか?
孫八  シー。
     また、しばらく沈黙
源助  まだか?
孫八  シー。
     また、しばらく沈黙
源助  どや!まだ釣れへんのか?
孫八  静かにしとけ言うてるやろ!
源助  そやかて、早く、カッパ見たいがな!
     左手からカッパの二人が登場。しゃがんで、じーっと竿を見ている二人の後ろに立つ。
カッパ おっちゃん……なに釣ってるねん? 
孫八  カッパや!
カッパ そんなとこにカッパはいてないよ!
源助  子どもはだまっとけ!
     カッパが右手に引っ込むときに、
カッパ アホなおっさんらやなあ!
     二人に向かってアッカンベーして引っ込む。
源助  おいおい、まだ釣れへんのかいな!
孫八  そないやかまし言うたら、釣れるものも釣れるかい! やめや。今日はあかんわ!
     竿をあげると大きな石。
源助  なんやそれは、石やないかい。肉はどないした?
孫八  肉はここにあるがな。
源助  返せ!
孫八  何言うとんねん。最初に言うたやろ。「この肉はわしがもらう」と、そしたら、おまえが
    「かまへん、かまへん」と言うたやないかい。
源助  だましやがったな!
     カッパが出てきて真ん中に立つ。
孫八  わしがだましたとちがう! このカッパと松阪牛でなにもできんようになったんや。
     カッパが肉を前に差し出す
源助  カッパと松阪牛で、なにもできんようになったとは、はて?。
孫八  はて?
源助  はーて! わかったわい!。
孫八  陸に上がったカッパが持った
源助  にっくき松坂牛に
全員  ギューといわされたわい!

俄37 / 俄ごっこ

若いころ、祭で俄をすることになったとき、村のお年寄りに、「しっかり遊んどいで」と言われた。
俄は演劇の一種だが、「演じる」のではなく、「遊ぶ」なのだ。
子どもたちが、輪にしたヒモの中に入り、電車にみたてて「出発! ガッタンゴットン・・○○駅です」とやる電車ごっこ
お母さんやお父さんになったつもりで「行ってらっしゃい」「ただいま」「ご飯が出来たよ」とやるままごとなどの「ごっこ遊び」と「にわか」は同じなのだ。
子どもは、たんに、「何かにみたてる」「何かになったつもり」「何かをしたつもり」を繰り返し楽しんでいるだけで、演じるという気持はない。
それでも、子どもが楽しく遊んでいるのを見ると、見ている大人も楽しくなる。
俄は自分だけでなく、見ている人も楽しくさせる遊びなのだ。
俄の命は〈遊戯性〉にある。

宴会のかくし芸用に一人俄をいくつか紹介しておく。
俄は遊びだから、ものおじせずに楽しくどうぞ。

【魚屋】わしは、このあたりに住んでいる、魚屋や。今朝、市場から魚を仕入れてきた。〔魚を手に取り〕おお、うまそうな魚、良い、アジじゃ。〔別の魚を手に取り〕この魚は、えらい柔らかい。フニャやなあ。〔別の魚を手に取り〕はて? この魚は以前どこかで見たことがある。はて! わかった。久しブリじゃ

【暑い】
  扇を持って出る。
「今日は、厚いもてなしをしていただき、たらふく酒をいただき、えらい酔うてしもた。そのせいか、暑うて、暑うて辛抱できん」
  手ぬぐいで汗を拭き、扇を取り出し、せわしく扇ぐ。
「こうして扇ぐと、少しは涼しくなるが。しんどうて、骨が折れる。おまけに、肝心かなめの酒の酔いが、覚めてしもたがな。おおぎな損や」
  扇ぐのを止め、扇をたたむ。
「もう、あおぐことは扇子としよ」

【捨て鉢】
 扇を広げて、皿を持っている仕草で出て来る。
「ああ、えらいことしてしもた。ご隠居さんの米寿のお祝いというので、鯛の焼いたんを鉢にのせて持っていってくれと、旦那さんに頼まれて出て来たんやけど、道でこけて鉢が欠けてしもた。こんなん持って行くわけにはいかし、かというて、往んだら、旦那さんにお目玉くらう。旦那さんの目玉は、鯛の目玉食らうよりもむないがな。ええーいままよ。
 扇(皿)を投げ捨てる。
「こんなん捨てて、往んでこませ。鯛の鉢は欠け捨てじゃ。(旅の恥はかき捨て)

俄36 / 台本にない笑い

江戸時代に書かれた『古今俄選』にある俄の技法をいくつか紹介する。※は筆者注。
【あぶら】俄の最初から終わりまで、出放題で言葉で引っ張ることだ。
※理屈の通らないことを次から次へと連発(出放題)すること。やすきよの漫才のようなものだろう。
【なえこ】おかしみを出すために、下をなやして言葉を遣うこと。
※「なやす」とは「力を抜く」ことで、阿呆のような間の抜けたしゃべり方をすること。藤山寛美の「あほぼん」のしゃべり方だ。
【でたらめ】はだかにて出る俄に多し。
※「はだか」とは文字通りの「裸」の意もあるだろうが、役柄として演じず、地のまんまのこと、アドリブだろう。

以上を踏まえたうえで、次の【俄の稽古の事】を読んでいただきたい。
  座敷で充分に稽古をして出演すれば「でたらめ」もよく効いて面白い。稽古が不足している時は、「あぶら」がやりにくい。
俄は即興芝居だが台本はある。その台本で充分に稽古をしてこそ、本番の時にアドリブが出てくる。あるいは稽古をしている最中にアドリブが生まれることもある。この〈アドリブ=でたらめ〉が俄の〈即興性〉であり、〈ボケ=とぼける〉となって笑いにつながっていく。俄の笑いは、台本にない笑いである。
そして、このボケによって、観客は〈ばからしさ=愚〉を感じ、〈滑稽=雅趣(味わい)〉が生まれるのである。

古今二和歌集』で倉腕家淀川は言う「昔の俄は下手なれども、理屈に縛られず、愚なるようなるところに雅趣あるを美とするのみ」
風流俄天狗』で村上杜陵は「ボケこそが俄の最も大事なことだ。よって、その役に医者の気持ち、師直の気持ち、俄を演じる者の気持ち、姿、言葉を、三つに分かつを極意とする」と述べている。
風流俄選」で月亭正瀬が言う「名人達のニワカを見ていると、どんな役柄をしても、少し笑みを浮かべてセリフを言う。これでこそニワカの情深く、風流を離れず、実に滑稽である」

俄35 / 聖なる俄

「俄」は、地域共同体のメンバーが他のメンバーを相手に、地域共同体の皆に演じる祝福芸である。
俄の面白さは〈素人性〉と〈方言性〉という〈土着性〉にある。

:おい、八兵衛!
:なんじゃい?
:われとこの嫁はんのお六さん、このごろ太ったんとちゃうか!
:ええ? さよか?
:ええもんばっかし食わしてたらあかんで!
:ええもんみたい食わしとるかい!
:せやけど、腹がえらい膨れてきよったと、ここらのもんが言うとるで!
:ちゃうがな、子ぉーでけたんや。
:ええ、どこでこーろげたんや?
:転ろげたんやなしに、子が出来よったんやがな。
:ええ、八とお六がエエことしてお三(産)かいな!
:ややこしものの言いよさらすな!
:ややこしいけど、ややこ欲しいやろ!
:またニワカ(駄洒落)かい!
:ええもん食わしたり。
:われ、先っきええもん食わすな言うたやないかい。
:それとこれとは話は別っちゃ。これ食わしたり。
:なんやそれ、ウメとアンズの実やないかい?
:これで安産まちがい無っしゃ!
:ウメとアンズで安産まちい無しとは? ハテ?
:アンズよりウメが安いや!
(案ずるより産むがやすし)

俄の本質には、その場限りの〈一回性〉、何が起こるかわからない〈意外性〉、それを切り抜ける〈即興性〉、笑いで吹き飛ばす〈滑稽性〉、良くも悪くも良しとする〈遊戯性〉、最後にすべてを納得させる〈饗宴性〉、より良かれを神仏に祈る〈神事性〉がある。
そんな俄を・・・、神社合祀によって臣民に国家の精神を高揚させる場となり、しかも、楠公遺跡の神聖な神社聖地となった神社で奉納するとなれば、どのような俄をすればよいのか。
俄の〈本質〉の多くが、戦争に向かう中で、少しずつそぎ取られ、封じ込められていく。
そうしなければ村の住民に恥をかかせることになる。
そうならないためには、すでに世間で認知されているものを演じるのが手っ取り早い。

歌舞伎「勢州阿漕浦(せいしゅうあこぎがうら)」の俄

 庄屋の彦作が、病気の母親のために禁漁を犯した平治の住み家に来る
彦作 いるか? 
平治 (戸を開けて)これは庄屋様、朝の早くから、いかなるご用か?
彦作 平治どんに、ちょっとたずねたい。昨日の夕べに、阿漕浦に行てはおらぬか?
平治 何を申されまするる。阿漕浦は帝の祖先を御まつりする大神宮の漁場にて、我々臣民は、近寄ることすらできませぬわい。
彦作 ふーん、貴様は知るまいが、その大切な殺生禁断の場所へ、夜な夜な網を入れる者が有りて、夕べとらえようとした時、つい取り逃がし、そのとき笠が有ったげな。その笠に「平」の字と書いてあった。ひょっと此方(こなた)ではあるまいか。此方が変な顔しても、これに言い抜けはあるまい。
女房 うちの人に限って網を打つなどする人やない。わたしらを奈落の底へ落とす気かえ。
平治 あばらやなれども平治が住み家。畏れもおおき大神宮様の漁場に網打ったとは聞きづてならん。踏み込んだが最後、そのままにはおかぬ。女房、腰の物(刀)持って来い。
女房 はい。 ※平治に暦を渡す。
平治 この暦で腰の物とは。はて?。
彦作 はて?
平治 はてわかった! この中に大小があるわい。
 (大の月と小の月がある)

日々の生活の中で演じられた素朴な河内俄は、いかにも高尚な地歌舞伎、地芝居になっていく。

俄34 / 大楠公

楠木正成が、多くの人々に親しまれるようになったのは、江戸時代初期、南北朝の争乱を描いた『太平記』の注釈書『太平記評判秘伝理尽紗』が成立してからだ。
大名・武士・儒学者にとって正成は、理想の政治家・指導者、兵学者だった。
やがて、この『太平記評判秘伝理尽砂』を台本にした「太平記読み」が民衆にも広まり、17世紀後半には講談に発展する。
民衆にとっての正成は、天皇に尽くす忠臣ではなく、権力に対して反逆し、強きをくじき弱気を助ける正義の味方だった。
反体制のシンボルとして、由比正雪大石内蔵助楠木正成の生まれ変わりとして歌舞伎や浄瑠璃の題材にもなった。

この楠公像が一転したのは、『大日本史』を編集した徳川光圀が、1692年、湊川に「嗚呼忠臣楠子之墓」を建立してからだ。
その後、水戸藩士の会沢正志斎が『新論』を著し、万世一系の国の形(国体)を説いて、楠木正成を神として祀ることを主張した。
殊に吉田松陰が信奉したことにより、幕末の志士や明治の政治家の間にも、楠公崇拝が広がってゆく。
明治になり、その崇拝を目に見えるものにするために楠公遺跡が整備される。
明治5年(1872) 湊川神社創建
明治7年(1874) 千早城址の社殿を修復
明治11年(1878) 楠公誕生地碑が建立
明治12年(1879) 千早城址の社殿を千早神社と改称
明治13年(1880) 観心寺楠公首塚の修理

近鉄富田林駅前に大きな石の碑がある。
「楠氏遺跡里程標」と大書され「明治三十四年十一月建 楠氏紀勝會」とある。
明治31年に河陽鉄道の古市-富田林間が開業し、富田林駅楠公遺蹟めぐりの出発地になった。
楠公遺蹟を持つ地元の人々の間にも関心が高まり、人々を遺蹟に向かわせる動きが始まった。
明治31年(1898) 河陽鉄道が古市-富田林を開業
明治33年(1900) 皇居外苑に大楠公馬上像完成
明治34年(1901) 富田林駅に「楠子遺跡里程標」建立
明治35年(1902) 河南鉄道長野線開業
明治36年(1903) 『楠氏遺蹟志』発刊、楠公遺蹟めぐりを奨励
明治37年(1904) 富田林中学(現富田林高校)で5/25に楠公祭、日露戦争
明治38年(1905) 小学校で楠公追慕式が始まる

『楠氏遺蹟志』の序は次のようにいう。
 忠に励み、孝を重んずるは、国民の大道なり。国危うして忠臣顕(あら)われ、家貧しうして孝子を出だす。
強きをくじき弱気を助ける庶民のヒーローだった大楠公楠正成は、忠臣として神格化され、忠孝の模範として国民に崇められるようになっていく。
千早赤坂の建水分神社(たけみくまりじんじゃ=上水分社)は、楠正成の産土神(うぶすなかみ)である。
喜志の美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ=下水分社)もまた、楠正成と浅からぬ関係がある。
神社合祀によって、神社は宗教施設ではなく、臣民に国家の精神を高揚させる施設に変貌した。
そのうえ、楠正成に関わりのある神社仏閣は楠公遺跡の聖地として変貌した。
そして、秋祭りの宮入りで奉納するようになった河内俄もまた変貌していく。

※豊原國周 筆『地名十二ヶ月之内 九月 楠正成 市川右團次』明治15 [1882]. 国立国会図書館デジタルコレクション 

俄33 / 神社合祀

明治時代の下水分社(美具久留御魂神社)氏子町関連の年表である。

明治元年(1868)  神仏分離令 廃仏毀釈
明治5年(1872)  富田林尋常小学校興正寺別院)
明治6年(1873)  新堂尋常小学校・富田林に芝居小屋
明治8年(1875)  喜志尋常小学校開校(明尊寺」
明治22年(1889) 河南橋架設 美原太子線開通
明治22年 町村制の施行=富田林村・新堂村 ・喜志村(単独村制)
明治27年(1894) 日清戦争
明治31年(1898) 河陽鉄道開通 道明寺-富田林、 国道170号線楠公道路開通・高野鉄道 堺東-長野間開通
明治35年(1902) 河南鉄道 長野線開業
明治37年(1904) 日露戦争
明治39年(1906) 神社合祀 下水分は40年合祀

 

鉄道と道路の開通は富田林を大きく変えていく。駅前が繁華街になり、新しい道路にそって家が建っていった。
上の地図は『河南鉄道路線案内』(明治三十五年)のもので、下水分社の案内文に「祭礼は例年七月十五日・十月十五日神輿の渡御ありて雑沓する」と書かれている。
「里程案内」には「壺井八幡宮 十五丁 金十二銭」とある。まだまだ人力車の時代だった。
明治39年(1906)神社合祀(じんじゃごうし)が勅令によって進められた。
各集落ごとにある神社を合祀して、一町村一神社を標準とせよというものだ。
このとき下水分社では平村の貴平神社、尺度村の利雁神社が合祀されている。全国でいえば十九万社有った神社が十二万社に統合されている。
神社と氏子を一つにして地方行政を国家神道で一括化しようとした政策だった。
おそらく、この神社合祀以降、氏子意識を高めるために、祭礼で〈にわか〉が奉納されるようになったのではないかというのが多くの古老の意見である。
もし、明治40年から、秋祭りの宮入での奉納にわかが始まったのだとしたら、河内にわかが大きく変わったのはこの時にちがいない。

「歴史36/祭じゃ俄じゃ」で戦後初めて秋祭りで俄を演じた「ミッツォはん」が、「神仏分離」「神社合祀」という言葉をよく口にした。
昭和生まれのミッツォはんが、なぜ神社合祀という言葉を口にするのか不思議だったが、詳しくは聞かなかった。
しかし、ようやく今になって、明治40年の神社合祀から、秋祭りの宮入での俄奉納が始まったことを、徳ちゃんのオッチャンあたりから聞いていたのだと思う。
明治政府は神仏分離で、天皇家の信仰は神道であることを明らかにし、神社を国家の管理下においた。
そして、神社合祀で、神社の氏子区域と行政区画を一致させることで、町村唯一の神社の威厳を高め、地域活動の中心にしたのである。
神社は宗教施設ではなくなり、国家精神を高揚させる施設に変貌していく。
もう一つ、明治時代になって大きく変わったものがある。

俄32 / 瞼の母

「歴史36戦後/ 祭りじゃ俄じゃ」で使われた俄です。
[番場の忠太郎・小浜(母)・お登世(妹)]


   (下手から忠太郎が登場)
忠太郎 母の面影瞼の裏に、描きつづけて旅から旅へ。昨日は東と訊いたけど、今日は西だと風便り。縞の合羽が涙に濡れて、母は俺らをどうして捨てた。恨む心と恋しい想い。宿無し鴉の見る夢は、覚めて悲しい幕切れさ。生れ故郷も遥かに遠い、母恋い番場のこの俺さ。もしやもしやと逢う度毎に、尋ね尋ねてやって来た。此処はお江戸の柳橋、人に知られた水熊よ。ご免めんなすって、おかみさん。
 (上手から小浜が登場)
小浜 中へ入って、用があるんならさっさと言っておくれ。わたしゃ忙しいんだから。
忠太郎 ご免こうむります。(敷居を越えて下手に坐り、しばらく何も言えずにいる)
小浜 何とか云わないのかい。用があって来たんだろう。
忠太郎 おかみさん、当って砕けろの心持で、失礼な事をお尋ね申しますでござんすが、おかみさん、もしやあっしぐらいの男の子を持った覚えはござんせんか?
小浜 あっ! 
忠太郎 覚えがあるんだ、顔に出たそのおどろきが。ところは江州坂田の郡(こおり)醒ケ井村から南ヘー里、磨針峠の山の宿場で番場という処がござんす。おきなか屋忠兵ヱという、六代続いた旅館へ嫁に行き、男の子をひとり生みなすった。そしてその子が五つの時に家を出た。罪は父親にあったと訊きました。おっ母さん、あっしが伜の忠太郎でござんす。
小浜 私には、おまえのような子はいないよ。確かに番場で忠太郎という子を生んだが、五歳のときに死んじまったよ。どこのどなたか知らないけれど、やけに芝居が上手いじゃないか。ちょっと小金がたまったら、やれ親戚だ倅だとうるさいことだよ。たとえお前が忠太郎だとしても、そんな姿で訪ねて来たんじゃ、誰が喜んで迎えるもんかい。母を探しにきたのなら、なんで気質の姿で訪ねてこないんだよ。
忠太郎 それじゃあおかみさん、どうあっても倅じゃないと・・・。
小浜 うるさいね!
忠太郎 よしやがれ! おい小浜、やい小浜! なんてえ面しやがるんだ! 赤の他人なら小浜で充分だ! おい、おかみさん、なんとか言いなさったねえ。親子の名乗りがしたかったら堅気の姿で訪ねて来いと・・・笑わしちゃあいけねえぜ、親に放れた小僧ッ子が、グレて堕ちたは誰の罪。何んの今更どうなろう。よしや堅気になったとて、喜ぶ人はござんせん。それにもう一つ、おいらのことをゆすりと言いなすったが、春秋数へて二十年。想い焦がれて逢いに来た。たった一人の母だもの。どんなお方であろうかと、寝ても覚めてもその事ばかり、無事でいたならよいけれど暮らしに困っている時は、助けにやならぬと百両を、肌身離さず抱いていた。もしやもしやと逢う度ごとに、尋ね尋ねて目が昏れりや、夕餉(ゆうげ)の煙りが切なくて、窓に灯りがともる頃、人の軒場に佇ずんで、忍び泣きしたこともある。夢に出て来た瞼の母は、こんな冷たい女(ひと)じゃない。逢わぬ昔が懐しいやい! 御免なすって!
 (忠太郎は下手に入る)

 (かわりに下手からお登世が登場)
お登世 おっかさん、
小浜 お帰り、早かったねえ。
お登世  おっかさん、今、出て行ったのは、いつもおっかさんが話していた、番場に残した忠太郎兄さんじゃないの? 
小浜 お前、見たのかい。
お登世 ううーん。話は残らず隣の部屋で聞きました。それでもあなたは母ですか。子を持つ親というものは、そんな邪険なものでない。母に捨てられ父には死なれ、広い世間にただ一人、そんな兄さんを一人で返す親はない。たった一人の兄さんとともに涙を流したい。
小浜 お前の心に対してもおッかさんは恥かしい。思いがけない死んだとばかり思っていた忠太郎が名乗って来たので、始めの内は騙かたりだと思って用心し、中頃は家の身代に眼をつけて来たと疑いが起り、終いには――終いにはお前の行く末に邪魔になると思い込んで、突ッぱねて帰してやったんだが――お登世や、あたしゃお前の親だけれど、忠太郎にも親なんだ、二人ともおんなじに可愛い筈なのに何故、何故お前ばかりが可愛いのだろう。
お登世 おんなじおッかさんの子じゃありませんか。
小浜 おっかさんが悪かった。許しておくれ。お前の事や水熊のことを考えて邪険に帰したおっかさんが悪かった。お登世、おまえも一緒にきておくれ。
 (二人が外に出ると猛吹雪)
小浜 忠太郎~
お登勢 兄さ~ん
 (二人が下手に入る)

 (上手から忠太郎が出てくる)
忠太郎  あの声は、おっかさんと妹だ! 何を言ってやんでえ! 何が今更忠太郎だ。ままよ浮世を三度笠、六十余州の空の下、股旅草軽(わらじ)を穿くだけよ。
 (奥から 二人が呼ぶ声)
忠太郎 誰が、誰が逢ってやるもんか。それでいい、逢いたくなったら、俺ア瞼をつぶるんだ。
 (二人が呼ぶ声が近づいてくる)
忠太郎 あゝまだおっ母さんが、あんなに俺を呼んでいる、妹もあんなに一生懸命呼んでいる。
 (忠太郎はいてもたってもおられなくなり)
忠太郎 おっ母さん! 忠太郎は此処だよ、おっ母さん!
 (上手から二人が出てくる)
小浜 忠太郎、忠太郎!
お登世 兄さん!
 (三人がしっかりと抱き合う)
お登勢 兄さんがお腹をすかしているだろうと、慌てて袂(たもと)に入れた、これで一つになれたのかしら。
 (袂から丼ぶり鉢を取り出す)
忠太郎 何や! 空の丼ぶり鉢やないかい!
小浜 これで一つになれたとわ?
お登世 はて!
忠太郎 はて?
お登世 はーて、わかった!
三人 苦労な七坂乗り越えて、末広がりの八(鉢)の中、やっと一つの親子丼になれたわい!