河内のおっさんのblog

大阪南部の南河内の歴史と文化、風土に育まれた笑いと人情の紹介です。

畑 / あなたのし、あなうれし

 孫に会うために田舎から東京に出て来たお婆さん。土産を持って行ってやろうと、駅前のミスタードーナッツへ入った。
 ショーケースを指さしながら「これと、これと……」と言うと、
 店員が「名前をお願いします」
 「はい、山田ヨネです!」
 「お婆さんの名前ではなく、ドーナッツの名前をお願いします」
 「ええっとー、オールドファッション」
 「おいくつですか?」
 「はい、100歳です!」

※春斎年昌『神話 岩戸神楽之起顕』(加工)
  「おもしろい」を漢字で「面白い」と書くのは当て字だと思っていた。しかし、ちゃんとした意味がある漢字だった。

 日本神話の「天の岩戸隠れ」で、天照大神を天岩戸から引っ張り出して、世界に再び明かりが戻った時、八百万の神々が喜びの声をあげて舞い踊る。

 あはれ あなおもしろ あなたのし あなさやけ  おけ おけ

 漢字交じりにして意味を補うと次のようになる。

 天晴れ あな面白 あな手伸し あな清け 飫け 飫け
 
(天が晴れた ああ皆の顔が白く輝く ああ手を伸ばして踊りたい ああ 竹もさやさや音をたてろ さあ飲め飲め)

 明るさが戻って皆の顔が白くはっきりと見えるという現象が「面白」の原義だった。

 強烈寒波で畑に行くのも億劫だったが、今日は穏やかなので久々に畑へ。

 放ったらかしの白菜がりっぱに実っている。
 「あはれ あなおもしろ  あなたのし」と祝詞(のりと)のように唱える。
 白菜だって、おだてだれればうれしいだろうと再び祝詞をあげる。
 「あはれ あなおもしろ  あなたのし あなうれし

 唱えているうちに、こっちもうれしくなる。元気をもらって長生きできそうに思ったので、感謝の気持ちで唄いながら収穫する。

 あはれ あなおもしろ あなたのし あなうれし ありがたし♪ 

 収穫したハクサイが合いの手を入れてくれた!
 ああ~白菜、百歳~


※01/27/2024のリメイク記事です。

畑228 / 恋の芽生えが運の尽き

 1月7日、人日の節句七草がゆ

 セリ・ナズナゴギョウハコベラホトケノザスズナスズシロ

 だからといって、我が地では、七草がゆを食べる風習はない。

 毎日、朝は、お粥(おかいさん)だったから。それに、新暦になって、一か月ほど早くなった正月に、七草を揃えるのは難しい。

※イラストAC

 2月の下旬頃に、畑に行くと七草のすべてが芽吹いている。

 ただし、スズナ(かぶ)とスズシロ(大根)以外は雑草扱い。

 ましてや、ナズナ(ぺんぺん草)、ゴギョウ(母子草)、ホトケノザ(たびらこ)にいたっては食べる気にはならない。

  ・・・・・・・・・・

 奈良時代に、唐から七草がゆの風習が伝わる前から、日本には「若菜摘み」という正月の行事があった。『万葉集巻の一の一』、つまり、最初の歌は雄略天皇の歌で始まる。

籠(こ)もよ、み籠持ち、掘串(ふくし)もよ、み掘串持ち、この丘に菜摘(つ)ます児(こ)、家聞かな、告(の)らさね、そらみつ大和の国は、おしなべてわれこそ居(を)れ、しきなべてわれこそ座(ま)せ、われにこそは告らめ、家をも名をも

いい籠(かご)を持って、いいスコップを持って、この丘で菜を摘むお嬢さん。君の家はどこ? 教えて! 大和の国は僕が平定したんだよ。すべては僕が治めているんだよ。だから、教えて! 君の家も君の名前も。

 

 天皇御自らが野に出て、我が領地の山草を摘み、名を名のることで権威を示す行事だったのだろうか。

 または、春先の生命力の満ちた薬草を摘み、その霊力を身につけて邪気を払い、無病息災を願う行事だったのだろうか。

 あるいは、若い男女が野に出て、互いに歌を詠み合って求愛する歌垣、今の合コンだったのだろうか。

 どちれにせよ、若菜摘みの行事の方が健康的だし楽しい。美しい日本の心がある。

大和耕作絵抄(国立国会図書館デジタルコレクション)をAIで着色

 久々に畑へ。

 若菜摘みにはまだ早いので、白菜とブロッコリーを収穫。

 今年は珍しく育ちがいい。

年はまだ、幾日(いくか)もたたぬささ竹に、今朝そよさらに春風を、われ知り顔に鶯の、もも喜びの音を立てて、歌ひ連れ立ち乙女子が、摘むや千歳の初若菜。若菜摘む手のやさしさに、梅が枝に囀づる百千鳥(ももちどり)の声添へば、 色さえ、音さえめでたき。 (地歌『若菜』)

  君がため 春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ (『古今集光孝天皇)

 だが、まだ、寒い。

 早々に家に帰る。

 「また、白菜とブロッコリー。大根が欲しかったのに」

 なんとも素気無い言葉。

 若菜摘む手と 手が重なった 恋の芽生えが 運の尽き(自作都々逸)

畑 / 年神様いらっしゃーい!

 一月一日元日の朝、つまり、元旦になると、ピンポーンとチャイムも押さずに、玄関の鍵がかかっていようがお構いなく、スーと家の中に入って来る。
 そして、テーブルの上に置いた重箱の中のお節料理と鏡餅を食べて、ニコニコと笑っている。
 紅白歌合戦を最後まで視た眠い目をこすりながら挨拶をする。
 「明けましておめでとうございます」
 「今年も、おまえたちのために、この一年の福徳と幸福を土産に持って来たで、正月(一月)の間はゆっくりさせてもらうとするか」
 「ははーっ! 一ヶ月とおっしゃらずに一年でも!」 「いやいや、そうはいかんわい。おまえたちか幸せかどうかを高い所から眺めるために、山に帰らねばならんでな!」

※AI生成

 雑煮を一緒に食べながら「あなた様はどのような御方ですか」と訊ねる。
 「毎年、来ているのに知らんかったのか! おまえたちの先祖じゃ(祖霊神)! 亡くなってから33年経つと神に昇格して、おまえたちの生く末を見守っているのじゃ。普段は山にいるので山の神、正月はおまえたちの所に来る(としかみ)じゃぞよ!」
 「なるほど! それで毎年お出でになる!」
 「そうじゃ! だから、元旦にわしが来やすいように頼むぞ!」
 「ははーっ!」

 

 自分の家が、年神様をお迎えするのにふさわしい神聖な場所であることを示すために、結界をつくって我が家が清らかな場所であることを示す目印が注連縄
 以前は、藁を編んで作っていたが、ここ数年は横着をして百均。
 ただし、それでは神様に失礼なので、青いうちに刈り取った稲穂を垂らし、庭にある南天(難を転じる)と(年中青々と栄える)で飾る。

 あまりにも早くから吊るすと、稲穂を雀に食べられてしまう。だからといって、31日は「一夜飾り」で失礼になる。
 二十八日が「二重の末広がり」で良いのだが、雀の餌食になる。今日の二十九日は「二重苦」で験が悪い。
 明日の三十日が、しめ縄を飾るぎりぎりの日。元日にのんびりと神様をお迎えするためには、年末の準備が大切。
 来たる年が良きとしでありますよう。

畑 / ささやかながら夢を持って

 今日は少し暖かくて畑作業には適しているが、これといってやることがない。
 そこで昼前、相方に「弁当食べに(ドライブ)行こ!」と誘って、和歌山県橋本の産直市場の「やっちょん広場」へ。
 到着すると12時半を過ぎていたので、いつも買う年寄り用の弁当は売り切れ。
 しょうがなく、高野山麓の九度山町にある道の駅「柿の里くどやま」へ行って399円の中華弁当に。

 いつもは店の前のテラスのテーブルで食べるのだが、寒いので駐車場の車の中で食事。ところが、この中華弁当、冷めているのに意外と案外美味くて満足。

 今日のお目当ては、里芋の「セレベス」という品種を買うこと。
 インドネシアのセレベス島(現スラウェシ島)から伝来したのでセレベス。
 里芋独特のヌメリが少なく、肉質がしっかりしてホクホクして甘い。他の里芋の芽は白いか、このセレベスは芽が赤いので「赤芽芋」といわれている。
 お母んが「里芋は、セレベスが美味いワ!」とよく言っていたので、八つ頭とともにセレベスを植えていた。

 ところが、セレベスが改良された「赤芽大吉」というのがあって、今まで植えていたのは、どうも「赤芽大吉」らしいと思うようになった。
 ネットで調べても「赤芽芋=セレベス=赤芽大吉」とゴッチャになっている。
 なのに「赤芽大吉」というネームバリュウが勝っているのか、「セレベス」という名で売られることは珍しい。
 そこで、違いを確かめるために、セレベスを買うのが今日の弁当ドライブの目的。そのセレベスを「やっちょん広場」で手に入れた。

 さすが和歌山。大阪とちがって、正月には子芋より親芋(頭芋)を食べるのだという文化がまだ根強い。だから、頭芋ばかり売っている。
 その中に、野球ボールほどの親芋四個入りの袋が二つ残っていた。しかも、ご丁寧に「セレベス」というシールを貼ってくれている。

 吾同様に、出荷した人は、よほどセレベスにこだわっているのだと、小さい親芋四個入りを購入。少々値がはったが、来年の新たな目標、夢ができて満足。
 調子にのって、途中寄ったスーパーにあった宝くじ売り場でジャンボ宝くじを買って、もう一つ夢を追加。

 次の日、セレベスを水につけて、土をまぶして袋に入れて春まで保存。
 一方の八つ頭は、売るはずだった20株ほどを掘りあげて畑の隅に積んで土をかぶせて、これも春まで保存。
 八つ頭は皮がかなり堅くなるので保存がかなり効く。あばよくば、里芋が少なくなる春先に売ってやろうと、またしても獲らぬ狸の皮算用。狸に逆に化かされるかもしれないが、夢はいくつあってもいい。

畑 / 花盗人に罪はない

 百姓仲間のライングループに「ニンジンを100本ほど盗まれた」とメールがあった。
 年の瀬とはいえ、なんとも世知辛い話だ。
 盗まれた側は損害以上に、数か月大切に育てた努力が一瞬ににして無にされることが最も腹立たしい。
 人事の及ばない自然災害ならば、いたし方なく諦めるしかない。アライグマやヌートリアは、生きるために食べているのだから罪の意識はない。だから、ぼんやりとなんとなく許せる。
 しかし、罪の意識があるはずの人間の仕業は許せない。

 『花盗人』という狂言がある。庭の桜の枝が折られているのを見つけた主人が、とっ捕まえてやろうと、盗人の再来を待ち構える。
 そこへ花盗人が盗みにやってきたので、捕えて桜の幹に縛り付ける。その花盗人が和歌を詠む。

 この春は 花の下にて縄つきぬ 烏帽子桜と人やいふらん
 (この春に桜の樹の下でお縄になり、我が名誉も尽きてしまった。縛られている桜の樹が自分がかぶっている烏帽子のように見えるから、人は烏帽子桜と言うだろう)


 機転のきいた風流な和歌に感心した主人は、盗人を許し、酒をふるまい、別れ際に桜を一枝折って渡してやる。

 「花盗人に罪はない」と言われるようになったのは、この狂言からだ。

 しかし、花盗人は窃盗罪で、10年以下の懲役または50万円以下の罰金を科せられる。
 だのに、そんな罪の意識にさいなまれながら、凍てつく寒さの闇の中で、100本のニンジンをどんな気持ちで抜いたのだろう。
 それを思うと、逆に、盗まれた側が、悲しくも寂しい気分になる。だから、警察沙汰にはしないという。
 「俺が作ったニンジンは美味しいやろ! みんな喜んだやろ。高く売れた? よかったなあ!」
 百姓には、『花盗人』の主人のように、桜の枝を折られても盗人を許した優しさ、おおらかさがある。

※絵はAI生成

 

畑227 / a man of culture

 今日は、暖かい。こんな日こそは、出来ることをやってしまおうと、夏野菜を収穫後、放ったらかしにしていた畝の耕運。久々に管理耕運機の出番。
 昔は鋤(すき)、近年は備中鍬で、エッチラオッチラと土を起こしてひっくり返していた。
 「田を返す」が、「田返す」となり、「たがやす」の語源となった。
 漢字の「」も、井(四角い土地)+耒(すきへん=鋤)でほぼ同じ意味。
 1畝(約1アール=99.17平方メートル)を耕すのに、昔は半日かかっていたが、今は、耕運機で30分ほどで終了する。
 ちょっと疲れたので、ドッカリと椅子に座って、耕運機を眺めながら、文明の利器、人間の叡智のたまものよと感心する。

 「耕す」の英語は「culture」(ギリシャ語のcolereから派生した語)。
 「農業」の意味の英語「agriculture」にcultureがついているのはそのためだ。
 人間は田畑を耕す以外にも頭脳を耕し、肉体を耕し、心を耕してculture(文化・文明・教養)を創造してきたのだ

 お釈迦様がある村で托鉢(たくはつ=食物を乞うて歩き、執着を捨てる修行)をしている時、バラモン教の男が、収穫した食物を配っているところに出会った。
 お釈迦様が食を得るために男の所へ行くと、男がお釈迦様に言った。
 「おまえも俺と同じように、田を耕して種をまいて、自分の力で食べんかい!」
 お釈迦様は毅然として言った。
 「私も田を耕し種をまいているのです!」
 しかし、男は納得できず、
 「田を耕す道具もないのに、どないして田を耕してるねん?」
 お釈迦様は静かに答えた。
 「信仰が種子で、苦行が雨です。智恵が農具で、真実を守ることが草刈りなのです。それで人々の心を耕し、あらゆる苦悩から解放するという実をみのらせているのです」

 なるほど、そうか!
 畑を耕すのも人々の心を耕すのも似たようなもので、耕すことは修行と同じなのだ。
 人間の知恵の結晶の耕運機で少しぐらい耕して、疲れたなどと言っていてはダメなのだ。

 というので、一気に畑を耕す。
 ぼんやりと空を仰ぎながら、畑だけでなく、身も頭も心も耕して、独りご満悦。
 なんといっても、吾もまた、a man of culture(文化人)なのだから。

畑226 / 寒いからといって悪いことばかりとは限らない

 6時に目が覚めて、玄関を出て、吊るしてある温度計を見ると2度。原付バイクのサドルに霜が降りている。
 初霜。
 「これから寒い冬になるぞ!」と霜の声がする。

 関西では「寒い」と言わずに「さぶい」と言う。えげつなくさぶい時は「さっぶい!」
 今日は、さっぶい一日になりそうだ。

 気温が6度くらいになった9時ころに畑へ。
 秋ジャガ芋が、ふにゃりと完全に枯れている。試しに一株掘ってみると、ピンポン玉ほどの大きさ。
 食えないことはないし、皮を剥くのは我が相方の仕事だから、まあいいか。

 寒さに強い白菜や水菜は、気温が下がると、自分自身が凍らないように水分を減らし、デンプンを糖分に変える。だから、甘みが増す。
 「寒じめ」といって、わざと寒さに合わす栽培法もある。
 「さっぶい」からといって、悪いことばかりではない。

 ジャガ芋同様に寒さに弱い爺はビニールハウスの中に入る。10度ほどだが、風が無いので温かい。
 温かいハウスの中で、自動販売機で買った熱いコーヒーを飲む。
 これも、ちょっとした冬の楽しみ。
 「さっぶい」からといって、悪いことばかりとはかぎらない。