「命にかかわる暑さ」などと言われると、外出をせずに部屋でじっとしているしかない。戸を閉め切ってクーラーを効かし、外部と遮断された部屋の中で過ごす。
クーラーのなかった昔は、北と南の縁側の戸を開け放って風を通し、自然と一体になっていた。

今はクーラーによって受動的に冷やされるが、昔は積極的に涼しさを求めた。
自然にあるものを利用した簾(すだれ)や葦簀(よしず)で日差しを遮った。水の蒸発で熱が奪われるのを利用して道に打ち水をした。軒先の吊りしのぶや風鈴に、目と耳で涼しさを感じた。そして、それらを風情として愛でた。
それどころか、花火や舟遊びのように、涼しさを求めることを夏の行事にして、暑さをみんなで楽しんだ。季節と共生していた。
日本人は、涼しさを皮膚だけではなく、五感で感じとる感性をもっていたのだ。

古語の「涼し」は、冷んやりしているという意味よりも、清らかに澄んで、さわやかですがすがしいの意味によく使われる。
そんな感性が失われた現代、なんとも情緒のない世になったものよと嘆きつつ、ガンガンに利いたクーラーの部屋で涼しい顔をしている。
※五雲亭貞秀『東都両国ばし夏景色』国立国会図書館デジタルコレクション